東福寺から国道16号上り線を挟んだ山尾根の左肩に、「吾妻社(あづましゃ)」 が祀られています。 「吾妻社」は日本武尊(やまとたけるのみこと)と弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)を祭神として崇敬を集め、 もと箱崎半島 (現吾妻島) 吾妻山山上に在り、海上交通の目印となっていました(『新編相模國風土記稿』)。 明治32 (1899) 年、 吾妻山一帯は海軍用地として買収されたため、 翌年現在地に遷座しました。 接収された地域の住民も現在の長浦地域に移住したため、吾妻社の氏子区域は存せず、田ノ浦神明社の氏子会と長浦神明社の氏子会が合同で奉仕しています。 吾妻社の本殿は唐獅子や象の見事な彫刻が施された流造(ながれづくり)の精巧な建築で、覆殿(おおいど)の中に見ることができます。 吾妻社の由来については、『古事記』『日本書紀』に伝わる日本武尊 (第12代景行天皇の皇子)の東征(東国の蝦夷征討)に因んだ言い伝えがあります。 『三浦古尋録』(江戸時代後期に著された三浦半島の地誌)によると、日本武尊が上総国 (今の房総半島) に船で渡る時、強風高波に遭い難渋すると、皇子に代わって竜神を静めるため妻の弟橘媛が海中に身を投じた。媛の屍がこの浦に流れ着いたのでこれを祀って吾妻権現と崇めたといいます。 『田浦町誌』にも、弟橘媛が海中に入水したときに差していた笄(髪飾り かんざしのようなもの)が漂い流れているのを荒井の漁夫が拾い取り高貴な品として山上 (吾妻山) に神としてお祀りしたのが創めとの話があります。 |