『お施餓鬼』と『お盆』






仏教の施餓鬼(せがき)やお盆のルーツには、こんなエピソードがあります。
ある日、お釈迦様の十大弟子・阿難尊者は瞑想中に餓鬼の姿を見ます。その餓鬼は「あなたもこのままだと私のように飢え苦しむ」と語りかけました。
驚いた阿難がお釈迦様に相談すると、「無縁の霊や困っている者たちに食べ物と祈りを施しなさい」と教えられます。
阿難はさっそく施しを行い、その功徳で自分も餓鬼も救われました。

また、やはり十大弟子の目蓮尊者(もくれんそんじゃ)は、その神通力で、亡き母が「目蓮だけを贔屓してかわいがった」という理由で地獄に堕ちて苦しむ姿を知ります。そこで、大勢の他者への供養を行い、母を救ったといわれています。
これが現在の「施餓鬼」や「お盆」の由来とされています。(目蓮尊者が母が助かり喜んだ様子を模したのが、盆踊りの始まりと言われております。)

こうした話は、単なる昔話とは言えません。私たちはインターネットを通じて世界中の人々や情報とつながれるようになった一方で、日常の中で他者との直接的な触れ合いが減り、「孤立」や「孤独」を感じ、心を蝕まれてしまうことが深刻な社会問題となりつつあります。私見ですが、あまりにも便利になって、ネットワークが巨大になりすぎてしまい、反って適切な個々のあるべき姿がわかりづらくなってしまったとも言えると思います。

そんな今だからこそ、自分がどれほど多くの命と繋がって生きているかを感じたり、それに感謝したりして、世界と自分との共生のバランス感覚を養う必要性があるように感じます。

例えば、江戸時代までの10親等の祖先をさかのぼると、単純計算で2,046人もの先祖がいると言われます。また、今日の食卓で自分が頂いたものにも、もともとは命があり、その命を支えるために犠牲になった別の命もあり、またその命を支えた別の・・・とそれこそ天文学的な命の数で繋がって、今の自分というものが維持されている訳です。

施餓鬼やお盆は、亡き人の供養をすると共に、命のつながりが感じにくい現代社会においても、自らの心の安定に重きを置く仏教の智慧がいかんなく発揮され、見えない命に想いを巡らせることで、自分の存在もまた支えられていると感じることが出来る、『これから生きる人』の為の儀式でもあります。

東福寺のお施餓鬼会は、毎年7月5日。今年は土曜日とのことです。令和になりましても、この法灯を消さずに、東福寺にて儀式を執り行う事が出来るのも、檀家の皆様、地域の皆様の想いあっての賜物でございます。

今年も無事円成出来ますよう、引き続き変わらぬご支援ご協力をどうぞ宜しくお願い申し上げます。

東福寺副住職 羽賀



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